愚者よ踊れ 2章


 ヴァン魔法騎士団の団長は、謁見室を退室したところで、謁見室の外で警備を勤めている兵士から呼び止められた。
「騎士団長殿!」
 騎士団長が足を止めると、緊張に強張った顔をした衛兵は、背筋を伸ばして声を張り上げた。
「ヴァーシス殿下が、第四小会議室で騎士団長殿をお待ちです!」
「…分かった、すぐに行く。君達はセレエ陛下を守るために、より警戒を強めてくれ」
 はいっ、と衛兵は敬礼をした。
 衛兵の声は、騎士団長が入室前に、異常はなかったかと尋ねたときより勢いがある。ヴァーシスに声をかけられたためだろう。
 突然の戦乱に、ほとんどの者は緊張しきってうろたえている。その中で周囲とは一線を画して、落ち着き払って気迫に満ちているヴァーシスに声をかけられたことで、彼に触発されたのだろう。ありがたいことだと騎士団長は思った。

 ヴァーシスは先王の長子で、元々は第一王子だ。本来なら王位はセレエではなく、兄のヴァーシスが継ぐはずだった。
 しかしヴァーシスは第一王子でありながら自分のその地位と王家を嫌い、王子としての責務をさぼってばかり、勝手に城を抜け出して騒ぎを起こしたり、少年時代は魔法で破壊行為を繰り返していたために『不良王子』『放浪王子』と悪評が高かった。
 ヴァーシスとセレエの父である先王は一昨年にまだ壮年にして亡くなり、その際に第二王子のセレエに王権を譲ると遺言を残した。王室典範の王位継承順序を定めた章は先王の生前に改定されていて、それに相当する理由があるとヴァンの貴族議会の三分の二以上が認めれば、王の一存で継承順序を変更できるとの一文が付け加えられていた。
 ヴァーシスの名前は色々な意味で有名だったため、貴族会議は問題なくセレエの王位継承を認めた。王室典範に記された王家の伝統に基づき、セレエは四十日の喪に服した後に戴冠式を行い、正式に王になった。
 戴冠式の直後にヴァーシスは城から姿を消した。そのあと行方がわからなくなり、数ヶ月前に唐突に城に戻ってきたときには、姿を消してから一年と十数日が経過していた。

 ヴァーシスが城に戻ってきてからのこの数ヶ月で、城内の者がヴァーシスに向ける視線は急激に好意的なものに変わってきている。
 セレエが王位を継いだため、次代の王としての勤めから解放されたヴァーシスは、昔から熱中していた魔法の研究に大手を振って没頭するようになった。まだ二十代半ばで、魔法研究を行う魔道士としてはほんのひよっ子であるにも関わらず、幾つかの優れた理論の構築と新たな魔法の開発という成果を既に発表し、更に成果をあげるべく幾つもの研究を進めていて、そのうちの多くはヴァーシスがまだ王子だった頃から研究を進めていたものだった。
 ヴァーシスは昔から、城にいるときは城内の魔法研究室か魔法実験室に入り浸っていて、王子としての責務も放り出して魔法の研究と自分の魔法力を伸ばす訓練に熱中していた。王位を継ぐ気はなくても、そのすばらしい才能と熱意をもって魔法の研究に打ち込み、魔法の発展に貢献することで【魔法の王国 ヴァン】の王族としての義務を果たす気はあったのだと、人々はそう受け止めた。
 騎士団長をはじめ魔法騎士団の高位の部隊で王族に関わることのできる立場の者や、高位の宮廷魔道士の間では、ヴァーシスの評判は元々、そう悪くもない。
 ヴァーシスは極端に素行の悪い不良王子だったが、その一方で、才のある王子でもあった。
 ヴァーシスが少年時代の一時期、あちこち燃やしたり壊したりの破壊行動を繰り返していたとき、魔道士達はヴァーシスの魔法力の高さに目を見張っていた。城の中では通常、魔法実験室や城内の訓練場など一部の場所を除いて、攻撃魔法の発動は封じられている。封印の力をはね除けて攻撃魔法を使うことができるのは、高位の魔道士などごく一部の者だけなのだ。
 魔法に優れる血筋の王族の中でも、ヴァーシスは群を抜いて高い魔法力を持っている。その力で破壊行為を繰り広げているヴァーシスの行動に戦々恐々としつつも、これは将来はすごい魔法使いになるに違いない、と思っていた魔道士は多かった。
 そして成長してからのヴァーシスは、城にいるときはほとんど魔法研究室か魔法実験室に入り浸りで、二十歳になる前に既に、優れた魔法研究者としての頭角を現していた。さぼってばかりと言っても王子としての公務もいくらかはこなさなければならないし、城からいなくなっていることも多かったのに、ヴァーシスは研究と研究のための勉強に明け暮れている若手の魔法研究者より優れた能力を示していた。
 魔法騎士達は、訓練に付き合わされることがあったため、ヴァーシスの強さをよく知っていた。ヴァーシスの破壊行動は、強すぎる力をもてあましているためだというのが彼らの共通見解だった。ヴァーシスの破壊行動は、頻繁に城からいなくなり『放浪王子』と呼ばれるようになってからは収まったのも、その見解を裏付けていた。
 しかもヴァーシスの場合、勝手に城を離れてほっつき歩いていると言っても、国費を浪費して遊び惚けているなんてのとは縁が遠い。まさに放浪と呼ぶのにふさわしく、国が危険区域に指定して封鎖しているヴァン大陸南部の死の火山に魔法の修行と称してこもっていたり、ハンターの旅に同行して危険な遺跡に入ったり凶暴なドラゴンが数多く棲み付くことで有名なノルダ大陸のドラゴニア山に登ったりと、まるで冒険者のような行動ばかり取っていた。
 しかも、たまに父王に強制されて軍事演習の指揮をすれば、日頃さぼってばかりにも関わらず十分以上にやってのけた上、作戦立案能力も高かった。
 ヴァーシスは王になるより、攻撃魔法の魔道士の長として軍を指揮する立場に立ち、国を守るか、宮廷魔道士として魔法の研究に専念し、魔法の発達に貢献することで王族としての義務を果たした方がいいのではないか。
 そう思うものは数多くいたし、先代の騎士団長や、数年前に亡くなった先代の大魔道士は実際に先王にそう進言した。
 ヴァーシスは愛想が悪くて、公務の中でも夜会など上流階級の華やかな社交の集まりや、王家の伝統を守った式典など仰々しく堅苦しい席を特に嫌う。今のこの平和な世の中で王でいるのはヴァーシスにとって窮屈だろうし、持っているすばらしい能力も活かせないだろう。
 それに戦争が起こったときのことを考えても、王が自ら戦場に出るという時代ではない。昔と違って、軍事行動を国家戦略の一部として考えなければならない立場の王は、後方にいるのが普通だ。戦況が悪化したとき、どの辺りで休戦を申し出ればいいか、どの条件でなら敗北を受け入れてもいいか、といったことを考えないといけない王が、戦闘で死んでしまったら困るからだ。
 今から数百年前、ヴァン大陸内に幾つもの小国がひしめいていて戦乱を繰り広げていた時代、王が自ら戦っていた時代なら、ヴァーシスはきっと偉大な王になれただろう。しかし今はそういう時代ではない。
 この時代の王にヴァーシスは向いていない。王になったのではヴァーシスの持っている数々の優れた能力が活かせないし、それをわかっていて王にするには勿体ない能力の持ち主でもある。
 そう進言されても、先王はなかなか、ヴァーシスに王位を継がせるという考えを変えなかった。才のあるヴァーシスに期待をかけていたというのもあっただろうが、最大の理由はなんといっても、今が平和な時代だということだ。
 王の最も重要な仕事が国を存続させること、つまり戦争に負けて他国に滅ぼされないようにすることだという戦乱の時代なら、王子のうち最も王にふさわしい者が王になる、というのは正しいだろう。しかしこの平和な時代だと、王子のうち誰が王になるのにふさわしいのか、ということが国内の権力争いの火種になる。自分の後押しする王子を王位に据えることで自分の権力を伸ばそうと目論む有力者達が互いに争うと、国が乱れる。今のヴァンでは貴族議会の発言権が強まってきていて、王だからと言って国益に背くような政策を無闇に実行することはできないし、多少向いていなかろうが王子が生まれた時点で自動的に王位継承が決まっていた方が害がないのだ。
 そういったことは当然、王に進言をした先代の騎士団長や大魔道士も考えていた。しかし、ヴァンの国内で『不良王子』の悪評は高く、これだけ評判が悪ければ多少どころでなく向いていないと思われているだろうし、王位継承の順序を変えても、それに相当するだけの理由がある特別な例だと思われて、大して問題は生じないだろうとも考えていて、先王にもそう言った。
 進言が受け入れられるまでには時間がかかったが、やがて炎の攻撃魔法の使い手としてのヴァーシスの噂が広がり始め、
『ヴァンの第一王子は王子としての務めをまるで果たそうとしない不良王子で、この世で十指に入るほどの天才的な魔法使いでもある奇人だ』
と影で言われるようになったのを知って、先王もようやく考えを変えたらしい。第二王子のセレエに王位を継ぐ者としての教育を受けさせはじめた。
 その後まもなく先王は亡くなり、王になるための勉強を始めて間もないセレエが王位を継ぐことになった。


 ヴァーシスが王にならなかったのはいいのだが、セレエは本当に気の毒だと騎士団長は思う。
 長男のヴァーシスが生まれたあと王と王妃はなかなか子供に恵まれず、ヴァーシスの七年後になってやっと生まれたセレエは両親に可愛がられておっとりと育てられてきた。
 王になるには若すぎる上、王になるための勉強も始めたばかりで、知識も不足しているし、覚悟もできていなかったことだろう。それなのに父王の死で、急に王としての重責を負わされることになってしまった。
 その上こんな―――他国が攻め込んでくるという事態まで起こってしまって。
 しかもケルグ兵は驚異的な強さを持つし、アンデッドや悪霊というのも非常に厄介だ。動く死体であるアンデッドは元から命がないので死なないし、痛みも感じない。起き上がらなくなるまで破壊しても、しばらく経つと再生してまた起き上がってくる。悪霊は、霊とは言っても生者に物理的な危害を加えることのできる霊で、魔法や物理攻撃で蹴散らすことはできるのだが、しばらくするとやはり、再生する。アンデッドも悪霊も、無限に復活するわけではないが、生きた敵を倒すのとは比べ物にならない苦労を強いられる。
 せめてネクロ・ハンターのニール神父がいてくれたらよかったのだが、ここ最近ニール神父はずっとヴァンを離れている。
 王城内にある女神教の教会の神父で、セレエが幼い王子だった頃からの教育係のニール神父は、聖なる力で死霊やアンデッドを強制的にあの世に送ることができる、いわゆるネクロ・ハンターの能力を持つ。
 実は獣人族だが、普段は常に帽子を被って獣の耳を隠し、自分の種族のことを隠している。一般の者には隠されているが、ヴァン城の中で王族に関わる立場の者でそれを知っている者は多い。目を閉じているのも、多分、帽子を被っているのと似たような理由なのだろう。目を開いた姿を一度だけ見たことがあるが、あの穏やかなニール神父とは思えない、怯んでしまうような鋭い赤い目だった。
 ニール神父は今、ロマシアがこれ以上闇魔法の力を手に入れるのを防ぐために、行方不明になっていたヴァーシスをヴァン城に連れて来たあのハンター達と行動を共にしているはずだ。今はどこにいるのだろうか。
 ニール神父は元々ケルグ王国の出身で、獣人族の中でも特に高貴とされる血筋の生まれであり、一時は若くしてケルグの王であるラグウの側近を務めていたはずだ。もしやケルグに寝返ったのでは、という思いが浮かばなくもなかったが、それはありえないことだというのも分かっていた。
 女神教の者は基本的に、各国に対して中立だ。増して今、ケルグは一方的にヴァンに攻め込んできている。女神教の教えは他者を傷つけることを罪として戒めているはずだ。ニール神父が女神教の敬虔な信者であることから考えて、いくら故郷であっても、この状況でケルグに味方するということはないだろう。
 そもそもニールは、まだ少年と言っていい年齢で王の側近の一人に加えられ、目をかけられていたのにその地位を捨て、ケルグを出て他国に渡ったことでラグウ王から良く思われていないはずだ。先王の時代からヴァンはケルグ王国に国交を求めていて、使者としてケルグ出身で向こうに詳しいニール神父を派遣していたことから、騎士団長もそういった事情を知っていた。
 ニール神父はラグウ王からは良く思われていないが、ラグウ王の息子で第一王子のゼクトが国を開くべきだという考えを持っていて、ニール神父に非常に好意的だと聞いていた。数十年後にはヴァンは、この数百年間他国との交流を拒み続けてきたケルグ王国と正式に国交を持つ最初の国になるかもしれない、と思っていたのだが。
 それどころか、この事態だ。
 もはやケルグが、闇魔法を使って世界の征服を目論むロマシアと手を組んでいることは明らかだった。

 一般にはあまり知られていないが、ヴァンの魔法研究所の中には闇魔法の研究を行うチームがあり、闇魔法の実態について、公表されているよりもはるかに多くのことを掴んでいる。
 偽大臣による国の乗っ取りとセレエ殺害未遂事件のあと、騎士団長もその立場上、詳しい事情と、闇魔法について判明していることを教えられていた。
 闇魔法がどんなものか知ったとき、騎士団長はロマシアのあまりの愚かさに怒りと、呆れを覚えた。ロマシアは闇魔法の力で世界を征服しようと思っているらしいが、そんなことなどできはしない。
 闇魔法は、人類に扱いこなせる魔法ではない。
 闇魔法の力には、拡大を続ける性質がある。闇魔法を使い続けた術者はいずれ、闇魔法の力に飲み込まれる。早いか遅いかの違いがあるだけで、例外はない。
 しかも、術者を飲み込んだあと、力の拡大が止まるとは限らない。周りに他の闇魔法の術者がいると、闇魔法の力の暴走と拡大が連鎖反応を起こす可能性がある。連鎖反応を起こした闇魔法の力は次々に術者を飲み込んで拡大を続けて―――その力の総計がある程度の域を超えると、ついには、闇魔法の術者がいなくても自ら拡大するようになる。
 そうなったら、人類は終わりだ。世界は丸ごと闇魔法の力に飲み込まれ、生きた人類は地上からいなくなる。ロマシアも含めて、全人類が滅びる。ロマシアが世界を支配するどころの話ではない。
 力の連鎖反応が無限には続かず、闇魔法の術者を食らい尽くした時点で拡大が止まる可能性もある。拡大が止まれば、その時点で被害は止まる。この場合には最も被害が大きいのは、闇魔法の術者が大勢いる場所、つまりロマシアだ。
 連鎖反応そのものが起こらなかった場合でも、闇魔法の術者がいずれは闇魔法に飲み込まれることに違いはない。例えロマシアが世界を支配しても、そのうちに闇魔法の術者がいなくなり、軍事力と共に支配力が激減して征服した他国から逆に攻め滅ぼされるのがおちだ。
 ロマシアも含めて全人類が滅びるか、ロマシアだけが滅びるか。ロマシアはその二択しかない道に進もうとしている。愚かと言うしかない。
 そしてロマシアの持つ闇魔法の力が強くなればなるほど、闇魔法の力がロマシアを飲み込んだあとも拡大を続ける可能性、全ての人類がロマシアの道連れにされる可能性が高くなる。
 何としてもこれ以上、ロマシアに闇魔法の力を手に入れさせるわけにはいかない。【封印】のオーブが今、ヴァン城にないのは幸いだった。
 しかし、敵は攻め込んできたらオーブを探すだろうし、ないとわかったらどこにあるのか教えろと迫ってくるだろう。その要求をセレエが聞き入れるとは思えないし―――最悪の場合セレエは、先程のセレエ自身の言葉通りに、自ら戦って死ぬことになりかねない。
 たとえニール神父がいたとしても、あれだけの数のアンデッドを倒すことはできないのは分かっていた。力が尽きてやられてしまう方が先だ。
 しかし―――王の側で、王を守るために自分と王に襲い掛かってくる敵を倒す程度のことなら可能なはずだ。そして、セレエを諭して考えを変えさせることも。
 ないものねだりをしても仕方がないが、ニール神父が今、いてくれたらせめて、セレエ王をここから逃がすことはできたかも知れないのに。


 ノックをして入室の許可を求める。騎士団長が第四小会議室に足を踏み入れると、ヴァーシスは騎士団長の顔を見るなり言った。
「騎士団長、状況を整理したい。我が方の損害と出撃可能数は、現時点でどうなっている?」
 きびきびした口調に、半ば反射的に背筋を伸ばして答える。
「はっ、負傷者が二百、傷を負ったあと既に回復して出撃可能な者が五百です。負傷者二百名も、ヴァンの魔法治療をもってしても長期療養が必要な者は数十名程度ですので、ヴァン軍と魔法騎士団のほとんどは出撃可能です。従ってこちらの兵力は約五千になります。城内に突入された場合は、現在は結界を張っている魔道士が三千人、その他に予備役三千人が加わります。実戦でどれだけものになるかは未知数ですが、王立機関に所属する魔道士で、軍人ではありませんが攻撃魔法を扱える者が四千名ほど。実質の戦力は、堅実に見積もって出撃可能数の倍程度はあります」
「死者は?」
「現在のところ、おりません」
「いないのか?」
 ヴァーシスは目を見張った。
「はい。負傷したのは臣民の避難路を確保するための盾となった者達ですが、町の外周の防壁が破られたときには、臣民の避難はほぼ完了しておりました。そのために戦闘はこれまでにほとんど行われておりません」
 現在、ヴァンの町の住人のほとんどは、ヴァン城の敷地の中に避難している。
 かつてはヴァンの町そのものが城壁の中にあり、城を中心に広がっていたという歴史を持つヴァン城の敷地は広い。人口の増加とともにヴァンの町は少しずつ拡大を続けているが、今でもヴァン城の敷地はヴァンの町のおよそ三分の二に達する。
 その広大な敷地の中に町の住人のほとんどが避難するまで、ヴァンの町の外周を囲む防壁は敵の侵入を阻み、町を守り抜いた。軍の損害が軽微なのは、そのおかげだった。
 闇魔法の力をもってしても、敵はヴァンの町の中に直接攻め込んでくることはできなかった。これも数百年にわたって王家がヴァンの町の防壁の強化を指示し続けてきたからだった。
 もし町の中に直接敵が出現してきたら、逃げまどう臣民が邪魔になり、軍は満足に動けず、今頃は軍にも臣民にも、多大な被害が出ていたに違いない。備えというものがいかに大切か、まだ若い騎士団長はしみじみと実感していた。
「だが、負傷者が出ているのに死者が出ていないのは、騎士団長の采配のおかげだろう。よく兵を守ってくれた。礼を言うぞ、騎士団長」
「…恐れ入ります」
 明らかに自分より格が上なヴァーシスからの評価の言葉に、騎士団長は深く頭を下げた。格が上だというのは、彼が王族だからという理由だけではない。経験においても強さでも、ヴァーシスは騎士団長を上回っている。

 騎士団長は、先代の騎士団長が引退したために後任として団長の位を授かってまだ半年ほどでしかない。二十八歳と年も若く、指揮官としては青二才もいいところだ。
 ヴァーシスは騎士団長よりも若いが、まだ十代の頃から冒険者まがいの行動を繰り返していて、ろくな装備もなく自分の腕と偶然知り合ったハンター数人を頼みに各地を放浪し、危険なモンスターとの命がけの戦いを経てきている。
 死の火山に封じ込められたときは、外に出られず孤立無援の状況で一年も生き延びた上に、偽大臣の言うことを真に受けてヴァーシスを殺しに来たハンター達をことごとく叩きのめしてもいる。
 騎士団長も厳しい訓練を経ているし、ヴァン王国の治安維持部隊としての戦いで殺し合いを伴う戦いを経験したこともある。しかし訓練は訓練に過ぎないし、自分が治安維持部隊の側にいて後ろ盾は国家で、相手は強盗団や盗賊団で一般の人民の日常生活を脅かす悪者でこちらは多勢であちらは無勢、という前提で騎士団長は戦ってきた。
 ヴァーシスと自分では、経てきた戦いの厳しさが違いすぎる。
 死の火山はヴァン大陸南部の荒廃した火山地帯にある山で、深部は溶岩の池と炎の灼熱地獄だ。紅蓮石やファイア・バードの羽などの貴重な資源を採取できる場所で、昔は炎の精霊が多いために魔法研究に最適な場所だとされてエルフ族の魔道士達が頻繁に出入りしていた場所でもある。
 しかし、あまりにも危険で、死者が絶えなかったために段々使われなくなり、ついには国が危険区域に指定して封鎖するに至った。近年では少数の者が資源の採取のために立ち入りを許可されているだけで、偽大臣が火山攻略の依頼を【オフィス】に出すまでは、足を踏み入れる者はごく僅かだった。
 ヴァーシスは死の火山に封じ込められていた間、サラマンダーもどきやファイア・バードといったモンスターを捕らえて食べ、地下水を飲み、薬草の煮汁を啜って生き延びてきたそうだ。それ以前から死の火山にこもることがあったのである程度の生活用品は持ち込んでいたし、昔の魔道士達が使っていた簡単な住居もあるから、それほど不自由はなかったと言う。
 ただし、持ち込んでいた保存のきく食料などはせいぜい数日分で、それが尽きてからの食事に関してだけは閉口したと言っていた。何しろ通常は食用にしない種類のモンスターだ。肉は固いし臭みが強い。自分で試しに食べてみた騎士団長ほか数人は、はっきり言って食えたものではないとの結論に至った。
 しかしヴァーシスは、それを食べて生き延びてきた。他に食べられるものがないからだ。おまけに塩すらない。そこらの冒険者だって、それよりずっとましなものを食べている。よく耐えられたものだと感心するが、ヴァーシス本人は「まずいが、食えなくはなかった」と至って平然としている。通常時はいい暮らしを送っている王族とは思えないたくましさだ。
 その上、警備兵によると、ハンター達と一緒に突然城に戻ってきたときのヴァーシスは、民族衣装めいた普段着で前髪の一部を赤く染めた、彼らが知っているいつものヴァーシスの姿だったと言う。あのハンター達の話によれば、ヴァーシスはその姿でハンター達の前に現れたそうだ。一年も死の火山に閉じこめられていたのだから、浮浪者も同然の身なりになっていてもおかしくないのに。
 髪を染めたり、よりによって頬に紋章を入れたりと周りが血相を変えて止めるような自己流のおしゃれをしているヴァーシスは、火山の中でも身だしなみに気を使っていた。いつものように髪を整え、前髪も自分で染め、水魔法や地下水で体と衣服を清めて、火山の中で暮らしていた。
 ヴァーシスは火山から戻ってきた後、封印されていた間に開発したという新しい魔法や構築した新たな魔法理論を魔法研究所の者達に披露して、騎士団長たち周囲の者を更に驚かせた。火山に閉じ込められたまま一年も生きていただけでも凄いのに、ヴァーシスは火山の中で、魔法の研究まで進めていた。
 おまけに、偽大臣の依頼を受けて死の火山に向かったハンター達は二十組以上いた。
 ハンターが襲いかかってくる理由については、最初のうちはサラマンダーか何かと勘違いされているのだと思っていたが、それにしては火山に来る者がやたらと多いので段々、ヴァン政府の上層部の誰かがヴァーシスを殺そうとして送り込んでいるのではないかと疑うようになったとヴァーシスは話していた。
 ヴァーシスは世界で一、二を争う炎の攻撃魔法の使い手だが、そればかりか、火山での暮らしに耐えつつ魔法の研究まで進めていたし、ヴァーシスを殺そうとしてかかってくる相手と戦い、追い返すことを繰り返してもいた。
 ヴァーシスは強さだけでなく、根性の入り具合や肝の据わり具合でも、魔法騎士団を含めて実戦経験の乏しい兵士達とは桁違いなのだ。
 騎士団長は自分の不甲斐なさに内心で歯噛みしつつ、ヴァーシスがいてくれてよかったと心底思っていた。その存在感だけでも、自分も含めて浮き足立っている兵士に地をしっかり踏みしめさせるためのよすがになる。
「援軍はどうなっている?」
「各都市に要請は送りましたが、最も近いベルリアスからの援軍でも今後二十時間以内の到着は不可能でしょう。それぞれの援軍は到着時点でわが軍と協働する予定ですが、その時点でヴァン城が完全に占領されていた場合にはまず城を包囲して他都市の援軍と共同戦線を敷き、陣形が整い次第、王都奪還作戦に入る予定になっています」
 ベルリアスはヴァン大陸西岸の、首都ヴァンの最寄りの港湾都市だ。
 このところの政情不安からヴァン王国は警戒を強めていたが、ロマシアにせよケルグにせよヴァン大陸に攻め込むには通常、船を使うことになる。魔法騎士団が常駐していて防壁も固い首都ヴァンの防衛についてはそれほど問題がないとみなされ、むしろ首都に最寄りの港湾都市ベルリアスに攻め込まれ、そこを拠点に敵が首都に攻撃してくる事態をヴァン王国は警戒していた。
 そのため、本来なら全軍を指揮する立場の大将軍は、首都防衛の要点となると考えられるベルリアスで警戒態勢をとっていた。他の将軍もそれぞれ、敵が攻め込んでくると想定される都市に駐在していて、彼らを補佐する参謀達もそこだった。
 敵が闇魔法で直接首都に攻め込んでくる事態までは、想定していなかった。闇魔法の力を甘く見ていた。そうとしか言いようがなかった。
 剣と魔法の腕が立ち、人柄の良さで騎士団の仲間に慕われているだけの青二才である魔法騎士団長が今、首都を守る全軍の指揮をする立場に立っているのは、そういう事情からだった。つまり戦争指揮官として適任な将軍達は、みんな首都を離れているのだ。
 宮廷魔道士達が魔法で各都市と連絡をとって援軍を要請し、それに応えて、大将軍が率いるベルリアスからの軍勢も含め、大軍が既に首都ヴァンを目指して行軍を開始している。だが、行軍後に兵が戦える速度を維持する限り、最も近いベルリアスからの軍でも首都への到着にあと丸一日はかかる。

「援軍が着いたときに俺とセレエが殺されていて、あのファンジール領主ギルヴィウスが王になることが明らかだったらそうなる。そうだな?」
 騎士団長があえて口にしなかったことを、ヴァーシスはあっさり口に出した。
「…はい」
 ファンジールはヴァン大陸の東岸、首都ヴァンの東北東にある港湾貿易で栄える町だ。先王の弟であるギルヴィウスはファンジールの領主の娘と結婚して領主の座を継いだ。現王のセレエ、元々は第一王子だったヴァーシスの両方が死んだ場合、ギルヴィウスはヴァンの王位も継ぐことになる。
 ヴァンは王都であり、敵は王都に攻め込んできた以上、普通に考えればヴァン城が完全に落ちればヴァンの負けだ。敵は国王であるセレエに降伏宣言への調印をさせてしまえばいい。セレエが降伏を受け入れなければ、セレエを人質に取って軍に対して降伏を迫ればいい。そうなれば軍が戦いを続けることはセレエを殺そうとすることと同じになってしまい、戦い続けるのはクーデターと同じになってしまう。軍は降伏をせざるを得なくなる。
 だが、この戦でヴァンに攻め込んできているケルグは、あのロマシアと手を組んでいる。
 一年前ノルダ王国にロマシアが攻め込んだとき、世界の各地は騒然となった。
 各国に衝撃を与えたのは、ロマシアがノルダに攻め入ったことではない。ノルダが侵略を受けたこと自体は、まるで意外ではなかった。
 ノルダは【無敵守備国】と呼ばれる国で、つまりそう呼ばれるほど何度も他国から侵略を受けてはそれを退けてきた国だ。国土の大半は厳しい山岳地帯、おまけにドラゴンを飼い慣らして操る技術を持っている国なので、難攻不落なのは当たり前だ。
 それを分かっていても他国が侵略を仕掛けるほど、ノルダの持つドラゴン飼育の秘密は魅力的なのだ。ドラゴンを制する者は空を制する。世界でただ一国、ドラゴンに乗った航空部隊を持つノルダは強力な軍事力を持つ国であり、その軍事力の強さの秘訣ゆえに他国から侵略されてきた。
 その上、ドラゴンが棲み着くドラゴニア山はダイヤモンド鉱山としても有名だし、水晶や銀と言ったその他の資源もノルダ各地で豊富に産出する。ロマシアとノルダの間には特に対立関係などはなかったが、自国の利益のためにロマシアがノルダを侵略しても、不思議な点は何もなかった。
 各国の首脳を愕然とさせたのは、ノルダに攻め込んだロマシアがノルダの誇るドラゴン・ナイト団を打ち破り、ドラゴン・ナイトを含めた全ノルダ軍を壊滅状態にまで追いやったこと、それなのにノルダを降伏させようともせずにノルダ城を破壊しノルダ王を殺したこと、そして何よりも、ノルダに対して何一つ要求をしないまま引き上げていったということだった。
 ロマシアはノルダに攻め込み、破壊を繰り広げ、死を撒き散らした。そして、ただ引き上げた。
 ロマシアのノルダ侵攻は、ヴァンでも大騒ぎになった。ロマシアはノルダに対して、これまでノルダに侵略を仕掛けた幾つもの国が喉から手が出るほど欲しがっていた、ドラゴンを飼い慣らす技術の秘密を要求したわけでもない。領土の割譲を要求したわけでも、ダイヤモンド鉱山の権利を要求したわけでもない。
 前代未聞だった。ロマシアの支配者層が何を考えているのか、誰も分からなかった。
 そして、ノルダを手に入れようとしなかったロマシアは、今、ケルグ王国のヴァン制圧に手を貸している。
 相変わらず、ロマシアのやることは読めない。だが、相手がケルグに加えてロマシアでもある以上、普通の考えが通じる敵だとは思わない方がいい。一年前ノルダでしたように、降伏を迫ろうともせずに王を殺すということも十分に考えられる。
 闇魔法の力で兵を送り込んできたのだから、ロマシアがノルダに攻め込んだ時と同様、破壊行動後に敵は闇魔法で即座に撤収している可能性もある。
 しかし、ヴァンは首都に人口と経済、文化の全てが集中しているノルダとは違う。ヴァンには大きな都市がいくつもあり、それぞれの都市に軍がいる。敵の行動がノルダでの場合と同じとは限らない。打てる手は打っておかねばならない。
「ファンジールに再度伝言を送らせろ。叔父上宛だ。もしヴァンが貴方の王都になることが決まっていて、それを奪い返すのに七日以上を要することが明らかな時にはヴァンの奪還は後回しにして下さい、とな。…あとは、言葉遣いは適当に直してくれ。とにかく、ヴァンの奪還より先にケルグを攻め落とせ、そうギルヴィウスに伝えろ」
 慣れない丁寧語を使うのが面倒くさくなったのか、ヴァーシスは一分未満でいつもの横柄な言葉遣いに戻した。
「…首都の奪還よりケルグに攻め込む方が先、ですか」
「そうだ。ケルグ軍が闇魔法で引き上げようとせずにヴァンを占拠しているようだったら、ロマシアはケルグを見切ったということだ。ロマシアがケルグと手を組んで何の利益があるのかまるで分からんし、【オーブ】が手に入らないと分かったらロマシアはケルグを使い捨てる可能性が高い。ケルグ軍がヴァンに居座っていたら、連中の本拠地のケルグ王国はがら空きになってる。簡単に制圧できるはずだ」
「…了解いたしました。魔道士達に、そのように伝えさせます」
 首都を敵に占拠されたまま放置しておいて敵地に攻め込む、というのは変ではないかと最初は思ったが、言われてみれば非常に理に適っている。ハンサムで遊び人で浪費家、なおかつ金儲けに才のある男として知られるギルヴィウスはこの破天荒なことで有名な甥からの、死地からの伝言をどう思うのだろう。騎士団長はふとそんなことを思った。
「ベルリアスとウラルムスン、それにガルヴァンスにも、同様の伝言を送らせろ。大将軍はベルリアスから行軍中だから連絡が取れないだろうが、陣を張ったら連絡が取れるようになるだろうと伝えておけ」
「了解いたしました。しかし、ヴァーシス様。ケルグ軍のほとんどは魔法が使えない者なのは確かですが、思念波の読める者が全くいないとは限りません。しかも、今回はロマシアと手を組んでのことです。言付けの内容は敵に伝わってしまうと思われますが…よろしいのですか?」
「かまわん」
 ヴァーシスはあっさりと答えた。
「むしろ、伝わってくれた方がいい。ケルグが怯んで戦意が落ちれば、それだけこちらの戦いが楽になる」
「………」
 つまりこの伝言は、ケルグに対する牽制を兼ねているのだ。いや、むしろ牽制の方が主目的なのだろう。ヴァーシスの眼差しは相変わらず鋭く、気迫に満ちていて弱気の欠片もない。首都が攻め落とされ自分もセレエも死んだ後の話をしているのに、ヴァーシスには負ける気は全くない。騎士団長にも、それが分かった。
「ギルヴィウスと大将軍には、直接ケルグには攻め込むなと伝えろ。…ベガスに協力させて、空き地を提供させろ。どうせあそこは遊技街のほかは全部空き地だしな。ベガスの空き地を拠点にすれば、船で長距離移動した後に直接ケルグに攻め込むより負担が格段に少ない。ベガスの領主が協力を拒むようなら、ヴァンの国民に対して国外での賭博を一切禁止、特に貴族階級に対しては厳罰を処す法律を制定するとでも言ってやれ。ヴァンの貴族連中が金を落とさなくなったら、ベガスの儲けは相当減るはずだ」
「了解いたしました。…あの、サンドーはよろしいのですか?」
「なに?」
「ベガスがあの孤島に移動したのはFDCの出現後です。ドラゴンでの移動を前提にしているため、あの孤島には大した港はありません。ケルグ制圧の拠点を設けるなら、サンドーの港に船を着けた後、サンドー周辺の砂漠に軍のキャンプを設けた方が良いのではないかと、自分はそう思うのですが…。物資の調達に関しても、もとから大きな市場がありますから、サンドーの方が向いていますし。それにサンドーの高級リゾートホテルの会員の多くはヴァンの貴族の方々です。サンドーのリゾート地としての側面と、商業都市としての側面の両方でヴァンはサンドーにとって大きな存在ですから、サンドーの議会に協力をさせるのは難しくないでしょう。経済力の差と外交力の差を思い出させることでケルグを牽制するためにも、サンドーとベガスの二つの拠点を設ける、とした方が効果的ではないかと思うのですが」
「…その通りだな。先にサンドーを思い浮かべるべきだった」
 ヴァーシスは表情を歪めて舌打ちをした。
「よく言ってくれた、騎士団長。確かにサンドーの方がずっと拠点に向いている。俺は地理的な条件ばかり気にしていて、港の規模や物資の調達にまで頭が回ってなかった。よく指摘をしてくれた。これからも俺の案に駄目なところがあれば、遠慮無く言ってくれ」
「………」
 ヴァーシスにそう言われて、騎士団長は顔が赤らむのを感じた。自分が物資の調達やら港の規模といったことを考えることができたのは、何も戦略的な発想に基づくものではない。
 単にギルヴィウスのことを考えていたので、そう言えば遊び好きのギルヴィウスはベガスがあの場所に移動したとき、自分専用の飛び屋を雇ってまで移動手段を確保したっけ、そう言えばあの孤島に大した港ってなかったよな、ヴァン軍が拠点にするなら大きな港のあるサンドーの方がいいんじゃないか?といった具合に連想しただけのことだった。
 騎士団長は決意をした。今後の自分は今までのような、剣と魔法の腕が立つだけの青二才でいてはいけない。もっとヴァン王家の役に立つ人材にならなければ。
 そのためにも、まずはこの戦いを切り抜けなければならない。何としてでも。

 ヴァーシスはふと沈黙した。黙って、宙を見ている。
「………ヴァーシス様?」
「…分かっていると思うが、大将軍やギルヴィウスへの伝言は、ケルグに対する脅しだ。これでケルグが怯んで休戦交渉を申し出てくれればそれに超したことはない。だが、そううまくはいかないだろう」
 そう言って、ヴァーシスはその金色の鋭い目を騎士団長に向けた。
「騎士団長、さっきセレエに出陣を願い出ていたな。策はあるのか?獣人は生身だから切れば死ぬし、アンデッドは燃やせばいい。しかし、悪霊をどうする?こちらがネクロ・ハンターでない以上、あれより厄介な相手はそういないぞ」
 炎の攻撃魔法の使い手であるヴァーシスでなくとも、アンデッドに対して炎で対抗するというのは、定番の対策だ。アンデッドは既に死んでいるので死なないが、灰にしてしまえばもちろん、炭にするだけでも攻撃力を大幅に失う。
 アンデッドはかなりの程度炭になっても動きを続けるが、炭化した体では自重を支えきれない。歩けば足が折れるし、路上に倒れれば衝撃で体が割れる。殴っても蹴っても割れる。しかも炭化したアンデッドは本来の再生力を既に失っている。蠢き、寄せ集まってはばらばらと分解する無数の欠片となったアンデッドは、もはや敵ではない。それどころか優秀な炎の使い手にかかれば、こちら側の攻撃力を高める燃料に他ならない。
「率直に申し上げまして、悪霊に関しては思いつきません」
 悪霊に対しては、確かに策がない。騎士団長は素直に認めた。
「しかし、悪霊の攻撃力はそれほど高くありませんし、何より、全軍の一部として獣人や他のアンデッドと連携の取れた作戦行動を行えるような存在ではありません。最大の驚異なのは獣人です。獣人とアンデッドに対しては対抗策がある以上、余力のあるうちに攻勢に出て敵の攻撃力を削いでいけば、ベルリアスの援軍が到着するまで城を死守することは可能だと確信しております」
 アンデッドは耐久力は生者と比べものにならないほど高いが、攻撃力は生きた獣人族の兵士に比べて大幅に落ちるし、動きも鈍い。悪霊は壁を通り抜けられるという厄介な特徴があるが、攻撃力はアンデッドより更に低い。
 最も恐ろしいのは、生きた獣人族の兵士だ。
 獣人族の大半は、魔法が使えず、魔法効果のある武器や防具を使いこなすこともできない。その代わりに驚異的な身体能力を持ち、鍛え上げた獣人族の兵士は、上空を飛んでいるドラゴンを弓矢で射落とすことさえできる。
 最も手強い相手である生きた獣人族の兵は、ヴァン王国で最強を誇る魔法騎士団が集中的に攻撃してとにかく殺す。
 この状況だとアンデッド化して復活するだろうが、アンデッドになった獣人にはもはや、生きた獣人の驚異的な破壊力も反射神経もない。生きた獣人に比べて動きが鈍く、攻撃力も低いアンデッドを一般兵が中心になって、炎属性の魔法効果のある武器や紅蓮石を使って攻撃する。
 魔道士達は、城門のすぐ近くに陣形を作り、比較的安全な場所から魔法を飛ばして支援攻撃を行う。魔法騎士と一般兵の支援の他、城門に敵を近づかせないのが彼らの役目だ。
 悪霊に対する策は確かにないが、その霊体を散らされた悪霊は再生するときに、周囲に漂う生気を消費する。霊体の欠片となった状態の悪霊は、生きた者から生気を奪い取るほどの力はない。すなわち、再生を何度も繰り返し、周辺の生気を食い尽くしたらその後、武器攻撃や魔法で霊体を散らされた悪霊は再生できなくなる。
 獣人は殺し、アンデッドは燃やす。悪霊に対しては他に策がないので、再生力の源になる周囲の生気が尽きるまで何度でも散らし続け、援軍の到着までなんとかして持ちこたえる、というのが騎士団長の考えた案だった。
 悪霊は何回も再生する。つまり敵の数は見た目の数倍にもなる。苦戦は避けられないが、勝機はあると騎士団長は考えていた。
 悪霊は辺りの生気を食い尽くすまで復活を繰り返すし、アンデッドも炭化させない限り、悪霊と同様に周囲の生気を食って再生する。しかしヴァンの兵士達だって、ヴァンの優れた魔法治療によって、よほどの重傷でない限りはすぐに戦線に復帰できる。
 【魔法の王国 ヴァン】の軍隊はしぶといのだ。ヴァン城を死守し、負傷兵が魔法治療を受けて復帰できる体制を確保できれば、援軍の到着まで粘ることができる。
 だが、治療魔法を扱う魔道士の大半は、攻撃魔法が使えない。敵が城内に突入してきて乱戦になり、治療魔法を扱う者達が殺されたり、治療を必要としている戦闘員と分断されたりしたら、援軍の到着前に高確率でヴァン城は落ちる。その状況でもたぶんヴァーシスは生きて戦いを続けているだろうという気がかなりするが、セレエに関しては話が別だ。王であるセレエを人質に取られて降伏を迫られたら、打つ手がない。
 だから、そうさせるわけにはいかない。
 このままセレエの指示に従って守りに徹していたら、あと数刻程度で結界を張っている魔道士達は力を使い果たす。まだ余力のあるうちに反撃をしなければいけない。このまま防戦一方でいたら、いいことはなにもない。攻勢に出るべきだった。
「では騎士団長としては、俺には後方支援の魔道士の要と、後方からの指揮をやらせる気なんだな?」
 騎士団長の案を聞いたヴァーシスは、金色の目を僅かに細めた。
「…王族の方々をお守りする立場にありながら、このようなお願いをすることを心から、お詫びいたします。しかし」
 ヴァーシスは片手を上げて騎士団長を制し、言葉を遮った。
「この状況で俺を戦わせないような馬鹿なら、俺はセレエにお前の解任を提言している。当然のことをやるのに、いちいち謝る必要はない。この俺が後方での支援というのは気に食わないが、案としては悪くない」
 自分の案がヴァーシスに受け入れられたらしいことに、騎士団長は安堵した。
 騎士団長としては、極力、ヴァーシスを戦場に出したくなかった。
 何よりもとにかく、今のこの状況のヴァンで、戦争指揮官としてヴァーシス以上の適任者はいない。セレエはもちろん、騎士団長よりもずっとだ。敵が城内に攻め入ってきて、ヴァン城の敷地内で乱戦になった場合でも、ヴァーシスなら騎士団長より遙かに優れた指揮ができるに違いない。これから苦戦が予想されるのに、優れた指揮官を前線で戦わせて死なせるわけにはいかなかった。
 それに騎士団長は、ヴァーシスに対して負い目がある。
 魔法の氷にセレエが閉じ込められ、あの偽大臣が「セレエを閉じ込めている氷は、死の火山に住む【炎の悪魔】が死ぬ際に残す『命の炎』で消し去ることができると分かった」と言い出したときに騎士団長は、部下である魔法騎士に死の火山を調べさせようとしなかった。死の火山のあるヴァン大陸南部の火山地帯の警備を行っているのは、魔法騎士団の下位の部隊であるにも関わらずにだ。

 炎の悪魔というのは、死の火山に残されている石碑に刻まれている碑文に出てくる名前だ。おそらくサラマンダーと呼ばれる炎の精霊の一種のことか、似たような炎の精霊のことだろうと考えられている。
 炎の悪魔が死ぬ際に残す命の炎、と言われて、騎士団長を含めて多くの者は『サラマンダーの炎』と呼ばれるものと同じものだろうと考えた。色々な文献でその効果が謳われているあの伝説の『サラマンダーの炎』であれば、確かに、どんな氷でも消し去ることができるだろう。ただそれも、手に入ればの話だ。ヴァンの魔法研究所も含めて、多くの機関や大勢の冒険者がこれまでにも『サラマンダーの炎』を手に入れようとしてきたし、今でも入手を願っているが、手に入ったという話は聞いたことがない。
 あの偽大臣も、命の炎の入手は難しいと認めた上で、だからと言って何もしないわけにはいかないし、伝説の宝や伝説の精霊といった類のものならハンターが詳しいので彼らに任せる、と言って【オフィス】に依頼を出していた。そして、宮廷魔道士達には引き続きセレエを氷から解放する他の方法を探すように命じ、騎士団長に対しては、この危機に乗じてよからぬことを企む者がいないとも限らないので、セレエが危機に陥っていることが漏れないように魔法騎士団は動きを控えるようにと命じた。正論だと思えたので、騎士団長はそれに従っていた。
 まさかセレエが即位以来ずっと頼りにしていたあの大臣こそがよからぬことを企む者で、セレエの即位直後に既にセレエの名前を使ってヴァーシスを死の火山に追放し、ヴァーシスを殺そうと企んでいたのだなどと全く気付けなかった。
 セレエが氷から解放されたと聞いたとき、騎士団長は取る物も取りあえず駆けつけ、体調の優れない王の代わりにニール神父から事情を聞いて言葉を失った。そして、心の底から自分を罵った。炎の悪魔について、部下の魔法騎士達に調べさせていれば!
 死の火山は確かに危険な場所だが、魔法騎士団の中でも王族に直接関わるような高位の部隊の者が入念に準備を整えてから行けば、命に関わるようなことはない。そしてヴァーシスの外見は特徴がありすぎて、遠目にでも姿を見たことのある者だったらすぐに誰なのか気付く。実際に姿を見たことがなくても、魔法騎士の間でヴァーシスは有名人だ。エルフ族らしい外見で炎の使い手、顔に紋章、その上に場所が死の火山とくれば、ヴァーシスを連想しない方が難しい。
 封印結界は、ヴァーシス本人だけでなく、ヴァーシスの魔法の気配すら火山から外に出していなかった。『放浪王子』の行方を捜すのに慣れている魔道士達が誰もヴァーシスの所在を掴めなかったため、ヴァーシスは魔道士達の力の及ばない他の大陸にいると思われていたが―――実際に姿を見ればそんな推測はすぐに吹き飛ぶ。
 動きを控えるようにと大臣から命じられてはいたが、王であるセレエを危機から救えるかどうかという事態だったのだ。存在するかどうかも怪しい伝説上の宝を入手しないといけない方法などあてにできないと決め付けずに、とにかく自分たちで動くべきだった。

 王家に仕える身でありながら王であるセレエを危機から救うことができず、王族であるヴァーシスが死の火山に閉じ込められていることにも気付けなかった。そして今また、ヴァーシスに戦闘員としての役割と指揮官としての役割の両方を期待している。そんな自分が情けないと思う。
 しかし、この状況で、これ以上の策は思いつけなかった。アンデッドに対してはヴァーシスの得意分野である炎の攻撃魔法が非常に効果的だし、ヴァーシスは一人で凡庸な魔道士百人に勝る強さがある。王族であるヴァーシスが自ら戦うことで兵達の士気もあがる。それを考えるとヴァーシスを戦場に出さないわけにはいかない。
 しかし、ヴァーシスが指揮官として優れていることもあるし、騎士団長の立場からしても心情としても、ヴァーシスを危険な前線で戦わせるわけにはいかなかった。好戦的なヴァーシスが、比較的安全な場所から魔法で支援攻撃というポジションを不満として却下するのではないかと心配だったが、杞憂に終わったので安心した。
 安心と言っても、戦いはこれからだ。
 恐怖に身がすくむ思いを感じながら自分を叱咤する。だがヴァーシスの言葉が、騎士団長の気分をがらりと変えた。
「だが、騎士団長。俺にもう一つ別の案がある。そちらの方が、軍の損害は少ないぞ」
「どのような案ですか。お聞かせ下さい!」
 勢い込んで言った騎士団長を、ヴァーシスは少しの間、黙って見つめた。
 ヴァーシスは妙に無表情だ。いつもなら自信たっぷりのヴァーシスらしくないその態度に、騎士団長はふと、不審を覚えた。
「その前に聞きたいんだが、町に住民は今、どれくらい残っている?正規の住民でない者については数が分からんだろうが、適当でいい。答えてくれ」
「正規の臣民で、避難していない者が百名ほどいます。非正規住民については、三百から…五百ほど」
 ヴァーシスは眉を寄せた。
「急な避難だった割には、正規住民の大半は避難してるのは凄いが…。非正規住民で避難してない奴の割合がやけに高いな。ヴァンの非正規住民の総数は、せいぜい四千ってとこだろう?」
「正規の臣民に対しては、避難命令はセレエ王の勅命であり、従わない者は利敵行為を行っているとみなして逮捕するとして強引に連行しました。住民名簿に載っている者で避難していない者は、単純に逃げ遅れたか、避難命令に従うのを不服として逃亡したかのどちらかです」
 ヴァン城の敷地にはヴァンの町の住民が全て避難して来るのに足りるだけの広大な余剰空間があるが、大勢の住民を全て避難させるのは簡単なことではない。
 貴重品や財産をできるだけ持って行こうとかき集めていてなかなか避難しようとしない者もいたし、全て持っていくことはできないので、避難命令に従いたがらない者もいた。
 持っていけないのは、貴重品ばかりではない。まだ借金の支払いが残る家。丹念に手入れをした庭。仕込みの途中の、これから客に出す売り物の料理。ここで放置したら台無しになってしまう、締め切りが間近なやりかけの仕事。つまりは『日常』そのものを、持っていけるわけがない。
 戦時であり、日常が保てる状況ではなかった。しかし普通の臣民は、普通に日常を過ごして普通に働き、臣民として普通に労働と納税の義務を果たすのがむしろ、つとめだ。
「今は状況が違うから」と言っても―――『日常』を送るという義務を果たしている普通の臣民に、それを捨てさせるのは容易なことではなかった。
 それができたのは、軍が動いて、住民に避難を強制したからだ。
 軍と言っても、ヴァンの軍隊は治安維持組織としての性質が強く、臣民の日常に深く関わっている。普段は親切な顔見知りの兵隊さんに、文字通り追い立てられて避難を急かされ、臣民の中には、兵士に食ってかかる者もいた。怯えて泣き叫んでいる子供もいた。道は避難する人々と彼らの持つ荷物であふれ、あちこちで人や物がぶつかり合い怒号や悲鳴が上がっていた。大混乱だった。
 しかし住民を避難させることができないままヴァンの町が戦場になれば、大勢の一般人が巻き添えになる。避難をさせないわけにはいかなかった。
 避難を急ぐ人がひしめき合う中で押されて転ぶなどして、かなりの怪我人が出た。それを想定して、避難する臣民を守る兵と共に魔法治療を行う魔道士が派遣されていた。人数が多すぎたり重症で派遣された魔道士が癒しきれない者達は、馬車を使って運んだ。馬車は道幅を塞ぐため結果として避難を遅らせてしまうことになったが、ある程度はやむを得ない。足元のおぼつかない老人や、自分で歩くことのできない病人なども馬車で運ばれた。
 それでも、死者が出ていた。避難中の転倒死や圧死、恐怖と緊張に耐えられなかった病人や高齢者など、死者は二十人を超える。
 皮肉なことに、今のところ敵に殺されたとはっきり言えるヴァンの住民はいなくて、避難を急がされたせいで死んだ、つまり味方に殺されたと言うこともできる者はいるわけだ。
 犠牲者を出してでも避難を急がせたことが、間違っているとは騎士団長は思わなかった。今は戦時であり、敵は奇襲攻撃を仕掛けてきたのだ。亡くなった住民には本当に気の毒だが、敵が暴力をもって攻め入ってきている以上、犠牲者が出るのは避けられなかった。人は伝説の神龍族でもなければ魔族でもない。魔法騎士だってただのエルフ族であり、人類なのだ。この状況で、犠牲者を全く出さないのは無理だった。それなら、犠牲者が最も少なくてすむ方法をとるしかない。
「非正規住民で避難命令に従わなかった者は、大半が獣人族です。避難民のうち獣人族の者については、ケルグの手の者だという可能性も否定できませんし、今のこの状況ですと他種族の住民からリンチを受けかねません。そのため、避難民を誘導する時点から他種族の者とは別にしていたのですが…それを見て不信感を抱いてしまったようです。誘導を行う兵達に、獣人族を別にするのは他種族の住民から怒りの捌け口にされないためで、彼ら自身の身の安全のために隔離するのだと呼びかけさせてはいたのですが…。兵の中に、獣人族の言葉が使える者はほとんどおりません。彼らの中で、ヴァンで使われている言葉があまり理解できない者については、納得させることはできませんでした」
「…そうか」
 ヴァーシスは苦り切った表情を浮かべた。
 ヴァン城に避難してきていない者に限らず、ヴァンの非正規住民というのは獣人族が多い。
 外部から流入してきた者がヴァンの正規の住民として認められるには、ヴァンの住民として認められるに足りるだけのヴァンの法律や一般常識、政治の仕組みに対する知識を持っているかどうかを確かめる試験に合格し、ヴァンの臣民としてヴァン王家とヴァン王国に忠誠を誓いヴァンの秩序を守り臣民としての義務を果たすと宣誓を行い、住民登録をする必要がある。
 ヴァンは世界でも最も住民の教育程度が高い町の一つだが、それでも識字率は八割程度でしかない。増して外部から流入してきた者となると、文字の読み書きができる者は半数以下になる。そのため試験は口頭で行われるのだが、ヴァンに流入してくる獣人族のほとんどはヴァンで使われている言葉さえあまり理解できず、数百年にわたって他国との国交を拒んできたケルグ王国から来た者が多いためにヴァンに対する知識も不足していて、試験に合格する者はほとんどいないのだ。
 ケルグ王国は他国と国交を持っていないが、民間人レベルでの出入りは禁止していない。凶暴なモンスターが多く棲み着くジャングルの奥に位置しているので、他国との行き来ができるのはジャングルを踏破できるだけの力を持つ限られた者だけであるため、そこまでする必要がないからだ。
 つまりヴァンに流入してきている獣人族というのは、獣人族の中でも特に強い者だ。強引に避難させようとして彼らが抵抗したら、敵との交戦が始まりもしないうちから軍が大きな被害を受けかねないし、そうなったら避難命令に従っている住民まで巻き添えになる。避難命令に従おうとしない獣人族は、放置しておくしかなかった。
 数秒、ヴァーシスは瞑目した。
「……俺の立てた案を実行に移したら、ほぼ確実に彼らは犠牲になる。しかし、敗北の可能性は格段に減るし、軍からの犠牲者も大幅に減る。気の毒だが、やむを得まいな」

 ヴァーシスの立てた案を聞いて、騎士団長は絶句した。



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